COLUMN
Vol.1 【巴紋について】
巴紋というと、古代の装飾具である「勾玉」を渦巻かせたような形が代表的ですが、基と考えられる図案は、陰陽思想を現わした「太極図」や、古代中国文化の商代以前の遺物にも見られ、遠く西洋の古代文化からも似たような紋様を見ることができます。また字義としては、蛇を現わしたものと解釈され、日本で発音される「ともゑ」という読みにいたっては、弓術の道具の鞆からきているといわれていますが、それが形状からなのか道具に書かれていた紋様からなのかは諸説あり定かではありません。
日本では図案のモチーフとして意識されていると考えられる「勾玉」の他にも、大陸から影響を受けて作られた剣の柄や、盾の飾りにもその原型を見ることができることから、日本という単一文化からの発想だけでなく、複合的な文化の交流の中で我が国に伝わってきたものと考えられます。
現在までに使われているものには、その形から躍動的な生命力の溢れるものと同時に、安定を象徴するものと解され、古くから神社の神紋にされたことや、生死を分ける武具に付けられたことを考えてみても、ひとしお意味深い紋であったことは確かな様です。
他にも家紋としては、院政が始まった頃に西園寺実季が車の紋様に使い、以後自家の紋として使用するようになったのが初めといわれ、武家においては、宇都宮氏、結城氏、佐野氏、小山氏等の東武士が多く使用し、後世宇佐八幡宮を初めとする各地の八幡社や、鹿島神宮、香取神宮等の武と関わりの深い社にも神紋として使われはじめます。
そもそもの紋様としての巴の種類には、代表的なものに、三つ巴、二つ巴、一つ巴を主軸にした多くのバリエーションがあり、左回りと右回りでは、その意味するところが変わると捉えられていたようです。平安期の使用例には、防火の呪ものとして鐙瓦や、衣服の柄として使われ、雅楽を主とする太鼓の類にも使われるという幅広い範囲で使用されていました。
以上の巴の歴史的経緯や、その意味するところを踏まえた上で、TOKUSAの出した「徒歩服」では、右巻の三つ巴の中にさらに巴を配し、子玉を付けることにより、内面から溢れだす躍動的な生産な力の表現をこころみました。今ではあまり使用されることの少なくなった巴紋ですが、日本の「らしさ」を打ち出す我々には、この上ない第一段の商品としてお薦めのできるものといえます。
2005/7/18
太夫 廣木健太郎
hiroki@tokusa.net
参考資料
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青珊瑚勾玉
(生産社蔵)
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保科家屋敷跡出土鐙瓦
(生産社蔵)
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参考文献一覧
『図示 日本の家紋』新人物往来社
『日本紋章学』新人物往来社
『日本家紋総覧』新人物往来社
『漢語新辞典』大修館書店
『大辞林』三省堂書店
『日本思想体系』岩波書店
『日本古典文学体系』岩波書店
『古語拾遺』岩波文庫
『寛政重修諸家譜』続群書類従完成会
『八幡信仰』塙新書
『源平盛衰記』国民文庫刊行会
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